東京高等裁判所 昭和26年(う)5001号 判決
論旨は要するに原判決は被告人が本件賍物が銅線であることにつき情を知つていた点につき証明が不十分であるとして無罪の言渡をしたが、原審で取り調べた証拠によれば公訴事実は其の証明十分と認められるから原判決は事実誤認を冒しているものであると謂うのである。
よつて按ずるに原審における被告人の供述によるも亦被告人の検察官に対する供述調書の記載によるも、被告人は本件銅線につき盜品の懸念を持ち買受に際しては「盜品ではないか」と問いただしたことになつていて、右疑問が単なる買受に際しての慣用文句でないことが認められる。然るに被告人の弁解は相手方が右質問に対し「盜品でない。人に頼まれたものである」と答えたので、それ以上確めもしないで買受けたというのであるが、右答によつて被告人の疑念が氷解したものとは遽に断定できない。之に加えるに本件買受価格が被告人の知つていたと認められる時価より著しく安いものであつたと認められる如き事情や本件売買の行われた時刻が午前三時半頃であつたという事情を綜合すると、結局被告人は判示銅線が賍物ではないかと疑い、相手に対し之を確めたところ、相手の答によつては明に右疑念をはらすに至らなかつたに拘らず、相手が盜品でないといつたのを幸い後日問題になつた際も一応の申開きができるものと思つて買受けたもので、以上の事情に照せば被告人は未必的にもせよ賍物性の認識を有していたものと推定して差支えないのである。然るに原審は他に特段の見るべき理由もないのにたやすく被告人に犯意がないものと断定したのは事実の認定を誤つたものと認める余地がある。仮に何等かの特別の事由(例之原審で弁護人が主張した被告人は普通人より注意力が低いという如き)があつて前記の如き相手方の言を信用し銅線は真実盜品ではないと考え善意で買受けたものであるとすれば其の間の事情は証拠上顕われていなければならないのであるが、記録を調査するも斯る事情の存在を看取するに足る資料は存在しないのである。
之を要するに原判決は以上の事実につき誤認を冒したものと認められるので原判決は他の論旨につき判断するまでもなく破棄を免れない。